罪の重さ知れ~オタク、反省する~

反省文です。

数日前、自主謹慎していた際に思ったこと。

誰かを責めるつもりも否定するつもりもありません。

あくまで反省文です。

 

 

某歌番組でトンチキソングメドレー、が行われることになりました。自軍の冠番組では何度か取り上げられてきた「トンチキソング」が、とうとう番組の垣根を越えゴールデンタイムに飛び出すことに…!自軍の冠番組の影響力に感心し、エイトのトンチキソングと言われたら…なんだろう、やはり謎の世界観を繰り広げるふわふわポムポム、イントロからかっ飛ばしてる夜な夜な☆ヨーNIGHTかしら…と考えるなどしておりました。

オタクは歌い手のメンバーや曲の背景を知った上で、それでも妙な気持ちにさせられる歌を、敢えてちょっとワルい言葉を使い「トンチキソング」と呼んでいます。これまで何度となく、またトンチキが出てきてしまった…トンチキソング…とTwitterで盛り上がったり、推しグループ以外のトンチキソング話がちらほら入ってきた時にも、どうやら他のグループにもトンチキソングはあるらしい…!と楽しく笑っておりました。Twitterの中で、オタクという仲間内でトンチキソングを楽しみ、あの曲はいい…!よく分からないけどなんか癖になる!いい…!とはしゃいでいました。ただ、番組で「トンチキ」が使われる度に、少し顔を出す小さな不安。うん…まあ…確かにトンチキなんだけど…なんだろう…「トンチキ」自体があんまりいい言葉じゃないよなぁ…という気持ちでした。

今回、トンチキソングがゴールデンタイム進出と聞き、オタクが愛情や尊敬を込めて育ててきた「トンチキソング」という言葉が電波に乗り、市民権を得たら…と想像すると、不安がムクムクと膨れ上がってきました。”ちょっとよく分からない曲”を嘲笑の的として「トンチキソング」「あれトンチキだよね」で簡単に片付ける人が出てくるのではないか。”自分にはよく分からない曲”を特に考えたり知ろうとすることもなく、くだらないものとして「トンチキソング」と呼ぶようになるのではないか。そうやって、オタクがその言葉に込めていた愛とは切り離され、言葉だけが一人歩きしていってしまうのではないか。

つい考え過ぎるのが私の悪い癖。いやいや考え過ぎだよいつもの考え過ぎ。そういうこと言うのやめて軽いノリで楽しもう???みんな楽しんでるんだし、水を差すようなこと言う必要ないやん???

そこに”トンチキソングの定義”というものが回ってきました。「コミカルなものを作ろうというコミックソングとは別物。『わけがわからないんだけど制作陣や歌手が本気、真剣に取り組んでいる楽曲』とでも定義…(一部抜粋)」

…そういうこと言うのやめて軽いノリで楽しもう???みんな楽しんでるんだし、水を差すようなこと言う必要ないやん???

無理でした。

大体「トンチキ」とはなんぞや。何となく悪い言葉のイメージではあるけど…。調べてみました。

【トンチキ】頓痴気。とんま。まぬけ。人をからかい、ののしって言う語(コトバンクより)

…聴いてるこちらとしてはわけが分からないけど、制作サイドが笑わせようと作っているのでないのなら、それを「トンチキ」なんて呼んでよいのか???それは制作者、制作すること自体への冒涜ではないのか???軽いテンションで耳に楽しい言葉を作り出しても、愛を込めたとしても、結局は悪口でしかないのじゃないか???

トンチキソングの定義を真面目に考えたことなんてなかったけど、なんとなくもっとハッピーなものだと思っていました。この定義はあくまで誰かにとっての定義で、みんなの定義がそうだとも限りません。実際私のイメージしていたものとは少し違いました。でも、よく考えてみたら「この曲トンチキで好き~~!」と言われて喜ぶ作曲者・作詞者っているのか???意図していた反応じゃなくて「トンチキ」と呼ばれても、とりあえずウケればまぁいいか、なのか???

私は決して誰かを責めているわけではありません。この定義を唱えていらっしゃる方のことももちろん大好きでとても信頼しています。いつも音楽への愛に溢れ、この曲がすごい!このアーティストがすごい!音楽はとても楽しい!と目をきらきらさせて話す姿、本当に大好きなのです。オタクの鑑。その方が、他者の作った曲を馬鹿にして「トンチキソング」だなんて呼ぶはずもありません。そして、それを取り上げてくれる番組のことも大大大好きで、何より音楽へのリスペクトに溢れた本当に信頼の出来る最高の番組だと思っています。彼らを疑うはずも責めるはずもありません。

ただ、この「トンチキソング」呼びが楽しいものとして成り立っているバランスは実にギリギリで、薄氷のようなものだということ。

私は非オタクにトンチキソング呼びが浸透し、馬鹿にされることを嫌だなぁと思ったけれど、じゃあオタクだから・好きだからって、制作者が意図していないだろう方向で、出た~トンチキ~!と笑ったり(決して嘲笑ではないのだけれど。)してよいものなのか???オタクを棚に上げてはみたけれど、ほんと私何やってんだ???という気持ちでした。

 

とても昔の話だけど…小5の頃でしょうか。一人の男の子、△△くんにいじめられていました。机の上に置いた筆箱やノートを全部落とされ、拾ってもまた落とされ「やめてよ!」と言ってもやめてくれることはありませんでした。大切にしていたキティちゃんの下敷きは落ちた衝撃で角が欠けてしまい、とても悲しかった。でも、親に言っても「△△くん、めいちゃんのこと好きなんじゃない?」で済んでしまったのです。彼が私のことを好きか嫌いかなんてどうでもいい。とにかく大事なものを壊されたり悲しい思いをしたくないだけなのです。好きと言いながら意地悪してくる子なら、私のことを大嫌いで近寄ってこない子の方がずっといい。親や、私が泣いてもオロオロするだけだった先生を見て「好きだったら許されるんか??」と憎く思ったし「好きだから許される」は絶対認めちゃいけないことだと、当時の私に恥ずかしくないように生きてきたつもりでいました。それなのにほんと私何やってんだ???です。罪の重さ知れ、です。

 

オタクにも色々います。好きだから「好き!!」と言う人もいれば、好きだから貶しちゃう!貶し愛!と言う人もいます。どちらもお金を落とせば良客なのかもしれない。でも、ネガティブな言葉で態度で、愛って伝わるのかな。私なら、嫌だな。好きなら好き!って言ってほしい。そしたら私も、私も好きだよ!!!って思うし、そう言う。

お金ちゃんと落としてるし!○○くんのこと好きだし!に胡座をかいてはいけないと思うのです。ネガティブな言葉や態度の裏に愛があるかどうか、そこまで汲んでくれる人もいるかもしれないけれど。でも大抵の場合、ネガティブな言葉を受けた時、発した人を一瞬で「この人は私を好きじゃない」に仕分けすると思うのです。根っこの気持ちがポジティブなものなら、やっぱりストレートにポジティブな言葉で伝えなくては。そうじゃなきゃきっと伝わらない。ネガティブな言葉はどこまで行ってもネガティブなのです。

 

ある時「”飯テロ”って言葉本当に不愉快」というツイートを拝見しました。そりゃそうだ。テロだもんな。どこをどう取っても気持ちいいはずがない。こんな当然のことに気付かないことがゴロゴロあるんです、私。

「お疲れ様」と言ったら「”お疲れ様”って言葉嫌いなんですよね、別に疲れてないし」と言われることがあったりするし、相手を慮ってるつもりでいても、一人一人のオーダーには合わせきれないところはある。だけど、不快に思う人がいるだろうと予測出来るネガティブな言葉は、想像出来る限りは使っちゃいけない。これは良くなかったな!と気付くことがあれば、そこから自分をまたアップデートしていかなきゃならない。

どうせ好きなら「好き!!大好き!!!最高!!!愛してる!!!ちょっとよく分かんないこともある!!でもあなた見てるとハッピー!!」でいきましょうよ。誤解されない言葉で盛大に愛を叫びましょうよ、私。

好きの気持ちは免罪符じゃないと、覚えておけよ、私。

 

 

「ほんとうになにかを伝えたいというときには、絶対に「ことばがきれい」なほうがいい」(糸井重里

 

 ほんのちょっと、アップデートしました。

 

 

 

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完全に余談ですが、いじめられて泣いた後日、クラスのパーティーで借り物競走がありました。私は『嫌いな人』というくじを引いてしまったので、迷いなく「△△くん、来て!!」と彼を呼びました。△△くんの、何だかうれしそうにすぐ来てくれた姿と、実は『嫌いな人』で指名されたと知った時の呆然としたような顔は未だに思い出します。それからはいじめられることもなくなり、とても清々しく過ごせたことも覚えています。

さらに後日談ですが、就職し取引先の人とお会いしたら、△△くんでした。結婚指輪をしていました。きっと好きな人には真っ直ぐ好きだと伝えることが出来るようになったのでしょう。よかったね。感謝しろよ!!私に!!(言い方)

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今日もストレートに安田くんが、エイトが、大大大好きです!!!