Re:LIVEしてつばさを手に入れた話
自分の気持ちを書いてみればいいよ、
誰かに読んでほしかったら読んでもらえばいいし、
読んでもらいたくなければしまっておけばいいから。
私にそう言ってくれた人がいました。
その後も最近どう?とずっと気にかけてくれて、そんな人が私のそばにいてくれたことがずっとうれしくて、そうだ、書いてみよう、と思い立ちました。
一回りほど前の季節に荷物を片付けた話です。
荷物を片付けました。俗に言う遺品整理というやつです。
はじめましてからさよならまであっという間でした。ほんの少しの荷物。交わした言葉の数も覚えているほど少し。まだ覚えきることも出来ずぼんやりとしか認識出来ていないままだったそのお顔。本当に、すれ違っただけ、ぐらいの感覚でした。悲しかった。
ご家族が荷物をいくらか引き取りにいらっしゃって、少し時間が経ち、残りの荷物も片付けなくちゃね、という話になりました。
「私が片付けます。私に片付けさせてください」とお願いしました。
私が片付けた話をすると、「そんなことやりますなんてよく言ったね!?信じられない…」と驚かれたのですが、なんで?と言われると、この中で一番その人の気持ちを分かってあげられる?あげられるなんて言い方もおこがましいな、分からないなりに一番理解出来るのは私なんじゃないかな、と思ったから。私だったら、その荷物を不気味だったり気持ち悪いものとして邪険に扱ったりせず、誰よりも丁寧に扱うことが出来ると思ったから。
とてもショックだったのはこれが初めてではなかったから、でしょうか。そういうお別れは二度目でした。
もうずっとずっと前になるけど、その時も突然でした。その人も顔見知り、ぐらいで、交わした言葉は覚えているぐらいの数だけ。でも、お葬式で見たその光景がずっと忘れられず苦しんできました。「終わりにしたい」という望みを叶えたその人は、希望が叶ったけど全然幸せそうなお顔ではなかったし、きっと私たちを、この世を憎んで恨んで去って行ったんだ、と思いました。
その瞬間はその瞬間で辛かったのですが、時間が経つと記憶は少し曖昧になり、恐怖の輪郭はだんだんにじみ、ぼやけていって実体を失い、広がり、漠然とした怖さに変わっていきました。しんどい時、辛い目に遭ったと思った時、夢を見たり、その顔を思い出し、囁かれる「終わりにしちゃえばいいんじゃない?」に飲み込まれてしまいそうな恐怖。そんな選択肢があることを身をもって知ってしまい、現実的な選択肢としてそれがリストに並んでしまうというのかしら、そんなかんじでした。
もっと時が流れて、さすがに頻繁にはそれを思い出さなくなった頃(片付いたというよりは、押し入れの奥にしまいこんであまり目に触れなくなったかんじでした)に来た二度目のお別れでした。
いざ荷物に触れてみるとちょっと怖いような気もしましたが、きっちり丁寧に一つずつ荷物を拭って、しっかりと箱に詰めて、大切にしまって。そこに一人の人の生活があったんだと思うと、今さらだけど無性に愛しく思えるような。本当は生きているその人と過ごす時間を愛しいと思える今があったなら、もっともっとよかったのだけど。
物を片付ける、は、気持ちも片付けることなんだなと、散らかっていた気持ちが少し落ち着いていくようなかんじでした。
そうすると不思議なもので。前にお別れしたあの人は、私たちを憎んでたわけじゃなくて、怖かったのかもしれないな、その瞬間になってやっぱり死ぬのが、と冷静に想像が出来るようになったというか。思い出す顔は、もうこの世を睨んではいなかった。笑っていた顔を思い出せるようになりました。
一方、顔を思い出せないその人は大きな悲しみを残していったけど、それと同時にほんの少しだけ私を救って去って行った。不思議でした。もう伝える術もないけれど、一緒に過ごせる時間が続いていた方がもっとずっと幸せだったけど、ありがとうなんて言うのもおかしいと思うんだけど、それでもありがとうと思いました。
周りの人が沈んでいないか見張っていないと!私がやらなきゃ!と、気が張っている間は緊張感と使命感もあってそれなりに元気に(?)動けていたのだけど、しばらく時間が経って緊張感が緩んでくると、私の「怖い」は大きくなってきました。それは、これまで感じていた、いなくなってしまった人に対する”怖い”ではなく、今いる人がいなくなってしまうことへの”怖い”でした。
予定を知らせずに長く席を外している人がいるとものすごく不安。どこかで死んじゃったりしていないか。どこかで死のうとしてないか。心臓がドキドキして、戻ってきた姿を見て、ほっとして。生来の過敏なタチにあれやこれやが加わって神経質に磨きがかかったというのか。そういうことを考えていない時も、いつもどこかソワソワと落ち着かないものがあって、推しの音楽も、言葉も、テキストもずっとうわの空。全ての物事がなんとなく私の前を通り過ぎて行き、私が触ったものも表面を撫でただけで手からすり抜けていくかんじ。ただなんとなく時間は過ぎ、時間薬かななんてぼんやりしながらもぼんやりしきれず、動くのもしんどくて、かといって何か動いていないのもしんどくてメンタルヘルスマネジメント検定を受けてみたり(何か出来ることがあるのかもなんて思いながら自分を救いたかったんですよね。)、それでもぼーっと毎日過ごしていたら、Re:LIVE 8BEATツアーが行われることが決まっていました。
何とか神戸公演に行けることになり、うれしすぎて泣きました。そこまで頑張ればどうにかなる、そこに何とかたどり着けさえすれば救ってもらえる、そしたらその先はきっと元気に生きていける!!!頑張ろう、とにかくそこまでは!と。
ただ世の中はコロナコロナで、いつ公演が飛んでしまってもおかしくなく、行く予定が叶うのか全く分からない。こんなに縋るような思いでいて、楽しみにしていて、行けなくなるのは今の私には耐えられないと、CDを聞き込むことも出来ませんでした、もっと楽しみにしちゃうから。そしたら駄目だった時にもっと辛くなるから。
こんなに寄っかかっちゃってごめんなさいねぇ…とフラフラどうにかたどり着いたワールド記念ホール。
安田くんが生きててよかったとGR8ESTで爆泣きした私、今度は自分が生きててよかったと爆泣きする番でした。
「何度でも立ち上がって その笑顔が見たくて
今日もここで歌うんだ ずっと変わらないこの想い 届け」
ドキドキのオープニング。続くRe:LIVEの歌い出しで涙腺が爆発。久しぶりに会った関ジャニ∞はめちゃくちゃ関ジャニ∞でした。私が大好きな大好きな、生命力に溢れた関ジャニ∞でした。
「エンタメってなんなんだろう、この時期に本当に必要なのか?と悩んだ」というメンバーの話を聞いたけれど、ご飯でもお水でもお薬でもお布団でもなくて、でも元気や、生きてる!!って喜び、明日も頑張ろうっていうパワー、そういう大切なものを与えてくれるのは関ジャニ∞をはじめとするエンタメだけでした。
いっぱい泣いていっぱい笑っていっぱい(心の中で)叫んでペンライトを振りました。ここ2年ほど、世界はガラッと変わってしまい、エイトどころか友達に会うこともままならなくなり、どこへ行っても何をしていても何となくじっとりと纏わり付く死のにおいに怯えていたけれど、そんな日常の何もかもが吹っ飛んで、こんなにハッピーに包まれてる瞬間っていつぶりだっけ?って本当に楽しくて楽しくて幸せでした。
「信じてくれた勇敢なエイター、エイトが連れ出すよ」
Re:LIVEがお客さんを前にして披露される、この日のために生きてきた気がするって言ったら大袈裟って笑われるかもしれないけど、それでもこの日のために頑張って生きてきた。辛いことやしんどいこともあるけど、でも関ジャニ∞とここで会うために、何とか立ち上がってきた。どうにかこうにか生きてる、っていう状態でしかなかったけど、ライブの帰り道「生きててよかったね」と母に言ったら「ほんと、頑張ってきてよかったね。明日からも頑張れそうだ~」って笑ってて、やっぱり生きててよかった、と思いました。
急に全てがうまく回り出すなんてことはないんだけれど、少し元気が出てきて、Mixed JuiceのPV見たさに買ったジャニーズWESTのアルバムで「つばさ」に出会いました。
「よくある話も 当事者にだけは 絶望にも 幸せにもなるから
同じ気持ちじゃなくていい 僕ら 互いのこと 少し想えたら」
よくある話。毎年多くの人がそうやってこの世界からいなくなってしまう。私なんかよりずっと身近な人がいなくなって苦しんでいる人がいる。そう思うと、私なんかの辛いを、辛いんです、悲しいんです、苦しいんです、って言っていいのかなとか、辛いよって言ったら「あぁ、よくあるよね、そういうこと」って言われるのかなとか、そういう気持ちがずっとあって。でも私の辛いって私だけのもので誰とも同じじゃなくて、私の辛いはそのまま認めてあげればいいのかってストンと落ちて。少なくとも、私は誰かに「あぁ、よくあるよね、そういうこと」とは思わないなって。だから自分にも同じようにやさしくしてあげようと、そんなちょっとやさしい気持ちになれた曲です。
「沈み込んだ理由さえも 翼になるかな」
悲しいことなんて無いにこしたことないんですけど、消えないし、無かったことにはしたくない、絶対いなかったことにはしたくないから、それなら翼にしたいよね。
季節が一周と少しして、最近、音がよく聞こえてくるようになりました。
つばさ、ラララ♪のバックにこんなきれいな弦の音が入ってたなんて前は聞こえてなかったな。よくこのアルバム聴いてたけど、こんな雰囲気だったっけ?今まで知らなかった音に溢れてたんだな、と気付いたりとか。好きなのに遠ざかっていたものが、やっぱり好きだわって思えたりとか(これは100%自分のコンディションのせい…)。
それで前に自分が書いたLIFE ISのブログを振り返ってみて、よく頑張ってたね、しんどかったね、と書いた時の自分に言ってあげようと思いました。あなたはまだLIFE ISのページを繰りながら、儚く見える安田くんが次のページではいなくなっちゃっているのではないかと怯えてもいたよね。今の私は、厳しい自然の前には小さくも、決して消されることのない安田くんの揺るぎない生命力を感じるのよ。今の私には、あなたに見えているよりもずっとずっと炎やリンゴの赤が真っ赤に、鮮烈に、生きて見えるのよ、安心して。と、そんな気持ちになりました。
「明日読んだら、今日の私とは全然違う感じ方をするのかもしれない」という気持ちは当時と変わらないしやっぱりそうだった。そこに、弱々の日もあるだろうけど、それでも変わっていく私が楽しみだね、とわくわくしている私がいるのが、前の私とはちょっと違うところかな。
最近母が「私あんまり『結婚結婚!』って言わなくなったでしょ?あんたがなんか今楽しそうに生きてるように見えるからそれでいいか、とも思ってきて。いや、もちろんしてくれるとうれしいんだけどね!!!」という話をしてきて。その問題はまぁ置いとくとして笑 そっかー、今の私、そんな風に見えてるかーってうれしくなりました。もしここまで読んでくれた方がいたとしたら、私が楽しそうなのはきっと、そんなあなたのおかげです。おかげさまで、きっと明日も楽しいです。あなたの明日も楽しいともっともっとうれしいです。
いつもほんまにありがとう。
前に進むために書かずにはいられなかったのと。
みーんな引っくるめて私なので絶対忘れてあげないからねっていうのと。
翼、手に入れた気がしましてね。
うれしいなって思ったので。
とりとめもなく書いてしまいました。
LIFE IS発売記念日には遅れてしまったけれど。
改めてLIFE IS製作陣の皆様への感謝をこめて。
今日もがむしゃらに生きるみなさま及び自分に愛とエールをこめて。