推しに降る雪

寝て起きたら世界がまた動いていた。

Twitterを覗くとみんなバタバタしていて、推しが何やら大きな決断をしたらしいことだけは分かった。

安田章大 写真集「LIFE IS」9/24発売」

という字面が目に入り事態が飲み込めなかったものの、画像を貼ってくださった方のツイートであぁ…なんかほんとなんだな…?とぼんやり思った。タイムラインに並んだたくさんの記事のリンクから一つを選んでしっかり読んでみました。安田くんが写真集を出す、ということには驚きませんでした。ただ、また安田くんはハードそうな道を選んだのだなぁ?と思ったのと、安田くんが開頭手術をしたのは2/9だったんだね、ということ。安田くんは後遺症の立ちくらみにより自宅で転倒した日のことをボク。で「4/9はぶっ壊れた日」など、後々何度か話してくれることがあったけど、開頭手術について触れたことはそれに比べると少なかった気がする。(決して話してほしいなんて要求ではない。)手術をしたのはその頃だったとざっくりとは知っていたけれど。エイタメツアーが終わって間もなく、ですよね。その少し前、1/2と1/13はステージを元気に走り回る安田くんを観たんだもんなぁ。1/13なんて、アリーナでこっちの方を観てニッコリしてくれた安田くんに目がハートになっちゃってウチワ胸の前で握ったままぴょこぴょこ飛び跳ねてしまったし、そのニッコリ安田くんを反芻したまま私は2/9も過ごしていました。幸運にも手術が上手くいき、今はそれなりに病気と折り合いをつけた安田くんが笑っていてくれるから、わりとフラットに2/9だったと聞けたのだけど。…不思議。私が観たあの元気そうだった安田くんは既にそれを抱えていたんだよね。その瞬間まではそういうものなんだね。傷痕や後遺症、その名残は色々なところに顔を出しているけれど、未だどこかふわふわとした感触。そんな「2/9だったんだ」という気持ちでした。

前に雑誌のインタビューで「腫瘍があることへの不安も、手術をすることへの心配もなかった」というようなお話を一度されていてそれっきりあまりお聴きすることがなかったので、あっけらかんと語るもんだなぁ…と手術に関しては思ったりしていました(後に、淡々としてるのも無責任だった…とかもおっしゃってましたが)。その後これでもか!これでもか!とお身体の話だけじゃなく山あり谷ありでバタバタしたことや、4月末のモーニング関ジャーニーや、ボク。のメトロックを見直した話を聴いて。今になっての勝手な想像でしかないけど、安田くん、当時は色々ありすぎてゆっくり一つ一つを受け止める暇もなかったんじゃないか、まだ単に話せる状態じゃなかったのかなと思いました。

LIFE IS出版の記事によると、昨年春に産声をあげたこの企画はおよそ一年がかり、今年の2月に根室で撮影を迎え、安田くんは厳しい環境の中で死に向き合ったそうで。

どれだけ勇気を出して厳しい環境に自分を置いて必死に向き合った後でも、変わってしまった生活や身体は元通りにはならなくて、話しながら泣いちゃう日だってある。そんな姿、人に見せたくないなと思えば話さなくてもいい。でも安田くんはつらくても、泣いてでも、この経験を共有することがきっと誰かを照らすのかもしれないと話すことを選ぶ。強い人です。強くあろうと必死にもがけることが”強い人”なんだと思うのです。

Smile Up Projectでオモイダマを披露した日「ヤスが話した方がいい」とメンバーに押され、FC会員対象ではなく完全にオープンな場に向けてご挨拶・自分の手術について話した安田くん。私は、安田くんがそれを話すことによって心ない人に何か言われるのではないか、と勝手に不安になり、安田くんをFC限定の小さな箱に閉じ込めておきたいような気持ちにもなっていました。でも安田くんは、骨を切って外して…とジェスチャーつきで画面の向こうの誰かに向けて真っ正面から話し(手話だったのかな…不勉強でごめんね)自分自身に対しても、画面の向こうの誰かに対しても目をそらすことがなかった。改めて、大変な手術だったこと、今も変わらない笑顔で笑っていてくれることがどれほど尊いことなのか思い知らされました。安田くんは絶対に、目を背けない。真っ直ぐ。その言葉は多くの人に届いたようでした。安田くんの挨拶の後、エイトがリモートで投げたどストレートのオモイダマはたくさんの方のキャッチャーミットにずばっと収まったようで、動画のコメント欄は、私が怯えたような悪意に溢れたものではありませんでした。「私も安田くんと同じ病気をして…勇気をありがとう」「元気をもらいました」「色つき眼鏡の理由知らなかったごめんね」「オモイダマ、とてもうれしかった」「オモイダマ、すごく届きました」なんてとても優しい言葉で溢れていました。

安田くんは、偽ること、隠すことを好まないようで、傷だらけでも丸腰でもゴリゴリ前進していく。(これエイトみんなそんなかんじかも…)誰だって隠すこと、偽ることは好まないだろうけど、でも100パーセントの自分をさらけ出して、それで人に悪く言われるのは怖いんじゃないだろうか。少し本当の自分を隠しておいて、ちょっと避難場所を確保しておこうとするもんじゃないだろうか。

自分はこれがいいと思っても、必ずそれを好まない人っていうのは出てくる。出来るだけ多数の人が満足出来る道を探そうと思っても、全員の満足する結論はないし。それなら、多数の人が満足してくれそうでいて、自分の気持ちを偽らない判断をして、一生懸命生きる。何かを決める時はそんなかんじなのかもしれないな。そうだ、いつか「僕の人生の選択を喜んでくれる人と共に歩いていきたい」ともおっしゃっていたね。この時は結婚について聴かれてのコメントだったので、「じゃあ結婚してほしくないって言うファンはいらないってこと?!」と怒っていらっしゃる方もいた。そう。誰もが納得する結論なんてない。だから安田くんは「応援してくださっている大切な皆さんが見たことのない等身大の僕を写して欲しい」と、誰かしらは文句を言うだろうけれどそれでも自分がやりたいと思ったこと、それを応援してくれる人を大切にしようとしてくれる。それは、自分に反対する意見は糞リプ、ガン無視っていうのではなく、みんな受け取り方は様々で当然、という考え方の上でのこと。安田くんを応援しているけれどその写真集は見られそうにない、という人には、そうやんな~またいつか読みたいと思うことがあったら読んでみて、無理しなくていいよと笑いかけるだろうし、読むよ!読みます!泣きながらでも読みます!!という人には、ありがとう~でも無理せんとってな!と眉を下げて笑うのだろうし、全く受け付けない!という人には、いいと思う、無理して読むもんでもないよとやさしく微笑むのだろうと思うのです。

私は相変わらず、心ない人のしょーもないツイートに悲しんだり悔しくなったりとメンタル弱々なので、あぁっ…心配です…心ない声(建設的で知性のある反対意見とは別のやつ)が安田くんの耳に届きませんように…あぁ…。と、へろへろと祈っているのですが、きっとオモイダマが多くの方に届いた時のように、真っ直ぐな安田くんの言葉、気持ちを真っ直ぐ向き合ってくれる方もたくさんいらっしゃると信じたい。病気の話で気を引こうとしているだなんてそんなしょーもない気持ちこれっぽっちもないんだと、安田くんを見てもらえれば分かってもらえると思うから。

根室の雪のように白い気持ちがたくさん安田くんの目に映りますように。

 

2017年の2/9、私は何をしていたんだろうとふと気になり、ほぼ日手帳を読み返してみました。

欄外には「ほんとうになにかを伝えたいというときには、絶対に「ことばがきれい」なほうがいい」と糸井重里さんの言葉が載っていて、オレンジのマーカーでぐるぐるマークしてありました。

 あと2月の最初には「A mal tiempo, buena cara.(天気が悪い時に、笑顔=逆境の時にも笑顔を)」とメモしていて、安田くんに思いがけないプレゼントをもらった気にもなりました。

 

9/24、安田くんに触れてみます。